2011年03月12日

あのときの僕は

あのときの僕は、体調を崩していて休暇をもらっていた。
だいぶ良くなったかと思ったのでテレビを見ながらストレッチをしていたら、突然の揺れが。
大丈夫だ、そう思って、とりあえず液晶テレビを押さえて、本棚やクローゼットはダメならあきらめればいい話だと思った。

なんとかおさまったが、当然電話は通じるはずもなく。

地震直前に整体院に予約を入れていたので、とりあえず自転車で向かったのだが、途中で電車から降ろされている人たちにすれ違った。
渋滞もものすごく、自動車ではなく自転車を選んだのは正解だった。
電車も当然動いているはずもなく、ターミナル駅のバス停は人でごった返していた。

施術を終えて、帰りも同じ駅前を通ったのだが、人は増える一方。

もしも、僕が出勤していたとしたら・・・とんでもなく恐ろしいことだ。
帰宅する手段が無いのだから。
唯一、置きっぱなしにしてある個人の自転車くらいか。


夜になって、会社の内線に直接接続出来る電話へ掛けてみたら何とかつながった。
同僚の話を聞いたら、「3時くらい余震の3回目くらいで帰宅命令が出た」とのこと。
その時点でもう電車で帰宅する手段は僕には無かった。

何度も何度もメールしても妹にはつながらなかったのだが、妹から自宅に電話があって無事だとのこと。
妹は結婚して世帯を別にしているから、親父もお袋も気が気でなかったようだ。
妹も職場の電話か公衆電話で電話してきたのだろう。


今日になって、数名と連絡を取ったが、何時間も掛けて帰った人。あきらめて泊まった人。いろいろだった。

僕が休んでいたのは、運とかそう言う次元で話したくない。
ただ、自宅にいた。
そして帰宅難民にはならなかった、ただそれだけだ。

今一度、対策をしておかねばならない、つくづくそう考えさせられた。


大きな被害を受けた地域の方々には、月並みで本当に申し訳ないけれど、心よりお見舞い申し上げます。




対策を取ってみた
posted by なか at 21:24 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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